監訳者まえがき 1 事前試験 9 序文 13
1970年代の役員会議室/1980年代の別の役員会議室/ 1990年代のまた別の役員会議室/2000年代のまた別の役員会議室/ 4つの市場の関連づけ 第Ⅰ部 4つの原理と7つの大罪 第1章 改革の基礎 25
QFR革命/4つの原理/相違方向/原理を用いた財務報告方針の定義/ 要約 第2章 7つの財務報告上の大罪 39 背景/資本市場の過小評価/不明瞭化/過大表示および虚偽報告/ 平滑化/最小限の報告/最小限の監査/近視眼的な作成コスト/ 罪のまとめ/経済学のように倫理的ではない 第Ⅱ部 GAAPの欠陥 第3章 米国および他国における財務報告 63 歴史的な経緯/情報が存在するところでは、どこで、どのように利用 されるのか?/このモデルはQFRに対しどのような意味をもつものなのか? /米国制度――最上のものであるのか? 第4章 GAAPが不十分なのはなぜか? 79 GAAPの正当な手続き/GAAPで可能な事項と不可能な事項を理解する/ 要約/本質的な利益の証明/大切なことは何か 第5章 PEAP、WYWAPおよびPOOP 103 財務報告で確立すべき事項/財務諸表で表示されるべき事項 /GAAPはどのような点で不十分なのか?/およそ最後の言葉/倫理の洞察 第Ⅲ部 QFRの信頼確立 第6章 旧習的障害を打破するQFR戦略 137 基本的状況/最初の3つの立場/GAAPはどうか?/新戦略/ 現状よりもQFRが道理であるのはなぜか?/監督機関のまちがった役割/ 規制および規制緩和の意見/結びの国際的見解 第7章 証券アナリストが胸中を語る 159 投資管理研究協会(AIMR)研究論文/資本市場も市場である/4つの 原理/財務報告の7つの大罪/GAAPは不十分である/タイミング/要約 第8章 重要な証拠 191 調査に基づく研究/著名な専門家/要約 第9章 学術研究――経験主義者の逆襲 225 経験論/方法論/情報の質と結果/情報の品質の研究/ウェルカー/ ラングおよびルンドホルム/ボトサン/セングプタ/ヒーリー、ハットン およびパレプ/ラングおよびルンドホルム(続編)/バース、ホール、 クルツマン、ウェイおよびヤーゴ/要約 第10章 異議を唱えよう 251 「強制することはできない」/「これは企業秘密だ」/「市場はそれ ほど効率的ではない」/「費用かかさむ」/「ほかにだれもしていない」 /「手元に情報はない」/「告訴されかねない」/「悪いニュースを報告 したらどうするんだ」/「不安定な印象を与えかねない」/「利用者は 理解できないはずだ」/「情報開示の負担が大きすぎる」/もう一度 第Ⅳ部 QFRは身近な存在である 第11章 これまでのやり方を見直す時期である 283 試験/どのように行ってきたか 第12章 選択方法を確認すべき時期である 303 別の試験/全体像 第13章 経営管理者と監査人との関係はどうか 325 最終テスト/さらに大きな全体像 第Ⅴ部 始めるに当たって 第14章 GAAPのギャップを埋める 349 GAAPの充足/修正GAAP財務諸表/補足開示/監査人の関与/報告頻度/ 要約 第15章 時価報告 367 古い問題/歴史的経緯/時価情報に対する需要はあるだろうか/ 利用者の声/信頼性/ここまでの要約/比較可能性/インフレと計測尺度/ 実現会計の問題/時価会計への移行/再び利用者の声/ 第16章 QFRの方法――パートⅠ 397 簿価会計/在庫フロー/投資/リース/有形固定資産/無形固定資産/ 企業合併/売掛債権と買掛債務/ 第17章 QFRの方法――パートⅡ 423 キャッシュフロー/年金およびほかの給付/ストックオプション/ 1株当たり利益/報告頻度/その他のポイント/最後に 第Ⅵ部 最後の仕上げ 第18章 QFRと基準制定 453 水と油?/まったく新しい基準制定者の動機/まったく新しい探求/ まったく新しい政治体制/まったく新しい成果/まったく新しい種類の機関 /結論 第19章 QFRを実行していない例――エンロンのケーススタディ 469 エンロンでは何が起きたか?/エンロンと7つの財務報告上の大罪/ 質問表/結びの見解 事後試験 505
本書は特に、「企業の経営者」と「証券アナリスト」の諸氏にお読みいただきたいと考えている。なぜなら本書は現在の米国会計制度の問題点を分かりやすく論点整理し、対処方法までアドバイスしているため、すぐにでも実務に役立つ内容となっているためである。言い換えれば、従来の必要最低限の情報公開では得られなかった効果を、本書で紹介するQFR(クオリティ・ファイナンシャル・レポーティング)を実践することで得ることができるのである。
時折悪例として取り上げられるエンロンの例を紐解くことも、財務会計の取り組みの実証分析例としては説得力があり、財務報告を企業経営における能動的な武器として利用することができることに経営者の皆様は再認識されるのではないだろうか。証券アナリストの諸氏も、企業の資本コスト計算を行ううえで考えるべき論点、特に財務情報の注釈の読み方テクニックなどは次の四半期報告書を読むときにすぐに役立つ情報が満載である。
本書は米国の会計制度について語っている。しかし、この問題点は日本の会計制度における論点でもあると言えよう。さらに今後の日本の会計制度の動向を占ううえで多くの示唆を含んでいるため、各項目の説明の端々にこめられていることを各人で考えることで今後の企業財務報告のあるべき姿を自信の判断でイメージすることに役立つと考える。そして、その時代に適合した「企業財務報告の理想像」を関係政府機関に先立って実践していくことこそが本書で提案したいことである。
自然な発想に基づいて「企業財務報告の理想像」を追求している経営者や証券アナリストはまだまだ少なく、QFRを実践している経営者や証券アナリストがほとんどいないのが日本における現状である。その意味からも本書の読者には「企業財務報告の理想像」を実践することで、資本市場において利益を獲得するチャンスが与えられることになるであろう。
平成16年5月
西麻布俊介
ある重要な業界の人事担当副社長が、従業員に関する多くの問題に真剣に対応する必要があることを役員会で話している。副社長は「HRM」(人的資源管理)システムを構築・実施することを提案し、これによって採用時に優秀な候補者を発掘し、教育を施し、魅力ある報酬を与え、在職中には人材育成を行い、さらに従業員と安定した関係を築くことを意図した。ほかの役員は、3年ないし4年ごとのストライキに耐えながらも労働組合をねじ伏せることに慣れており、友人や学閥出身者の登用が常識であった。また、疑問を投げかけられても苦し紛れに笑ってごまかすのが常であった。また、何の質問もせずに、これといって何もしないまま次の議題に注意を向けるのが常でもあった。 1980年代の別の役員会議室
自動車製造会社のマーケティング担当副社長が役員会の場で報告したことは、米国の自動車運転者は国産車の特徴、大きさ、品質、燃費および価格に対して不満を抱いているという事実だった。この報告では、日本の自動車メーカーの生産効率とデザインが大幅に向上しているので、米国で日本車が市場シェアを大幅に拡大するであろうと予測していた。副社長は、徹底的な「顧客志向」の姿勢を全社をあげて築き上げ、それによって、製品が魅力的で価格が適正であると認識してもらえるようにして、何とか市場で優位性をもたせることを提言した。このプロセスへの移行の鍵となる部分は「TQM」(総合的品質管理)と称される新理念で、品質を向上させコストを削減しながらも全生産システムを合理化するものであった。ほかの役員は丁寧に謝辞を述べたものの、眼を回しつつ、これといって何もしないまま次の議題に注意を向けた。
1990年代のまた別の役員会議室
大手製造会社の製造担当副社長がコンサルタントからの報告を発表し、「JIT」(看板方式)と呼ばれる新在庫システムを導入し、供給メーカーと密接な作業関係を構築して、会社のニーズに合致する事業活動および品質基準が協調できると考えた。ほかの役員は、経験上、供給業者とは協調関係を築ずにほかの供給業者と競合させることに慣れており、あれこれ文句を言ったものの具体的な行動に出ることはなく、次の議題に注意を向けた。
2000年代のまた別の役員会議室
大企業の財務担当副社長が役員会でプレゼンテーションを行い、一般の人々、株主、会社の債権者を含む資本市場に対してできるかぎり使いやすい財務情報の報告に関する新方針を提案している。副社長は、財務会計基準審議会(FASB)および証券取引委員会(SEC)が作成した最低限の基準を上回る対応を実践することで会社は評価され、資本市場が同社の株式価値を評価するときに使いやすいと判断する時価情報やその他の情報を自発的に提供するべきであると力説している。この取り組みはQFR(Quality Financial Reporting)と呼ばれ、株式の需要を喚起し、資本市場で独自の代替的情報を作成し分析する手間を軽減させ、さらに企業の将来像に関する不確実性を減らし、また株主と投資家との間に新しい信頼関係を構築することで資本コストを低下させることを意図したものである。テーブルを囲んで座っていたほかの役員は財務諸表についてあまり理解を示していなかったが、資本市場が公表される1株当たり利益の数値に反応すること、特に、それが事前予想よりも低い場合には敏感に反応することは知っていた。副社長が何か行動に出ると言い出すのではないかと思い、冷や汗をかきながら黙って座っていた。
4つの市場の関連づけ
この4つのシナリオは自由企業経済の経済活動の鍵となる。成功させるためには、経営者は4つの異なる市場の参加者と前向きに付き合うことを学ばなければならない。この4つの異なる市場の参加者とは、労働市場の労働者、製品・サービス市場の顧客、供給プロセスにおける供給業者、および資本市場の投資家である。図P.1は、この状況を図解したものである。 この4つの市場との取引に成功するには需要と供給両方を管理することが必要であるが、今までは、多くの経営者が需要側について注意を払わないまま供給側のみに注意を払って成功しようと試みてきた。 労働市場において、かつては多くの経営者が搾取する対象にすぎないものとして労働者を考えていた。実際、企業は仕事の供給組織として認識され、経営者がしなければならないことは条件に基づく職務を提供することだけであり、労働者は会社に来て労働力を提供するだけであった。人的資源管理(HRM)の考えによってこの状況が劇的に変化し、従業員をパートナーと認識するようになり、従業員が満足し、育成され、尊重され、十分な知識を与えられた場合にかぎり高い生産性を発揮することになった。 製品およびサービスの市場において、従来の考え方は、企業が安く製造した製品を供給し、顧客には可能なかぎり高い価格で販売するというものだった。この姿勢は「サプライ・プッシュ」と呼ばれた。経営者は、会社が作った製品すべてを市場で売り飛ばそうとしたからである。顧客志向や総合的品質管理(TQM)といった新しいコンセプトによって、顧客のニーズに照準を合わせることの利点を経営者は認識するようになった。サプライ・プッシュではなく、「デマンド・プル」(需要牽引)の考え方が支持されるようになったのである。このコンセプトでは、経営者は顧客のニーズを最初に考え、その後、競争力で優る方法で供給を開始するというものである。品質を高め、サービス・付加価値に注意を払うことによって、経営者は顧客との間に強固な相互利益関係を創造し、顧客はもはや遠い存在ではなくなり、一緒に企業活動に参加し十分な説明を与えられることになるのである。 ほかの国々において成功した経営者にならって、多くの米国経営者が、自社の供給プロセスでは関係者は経営者の言いなりになるのが当然であるという考えを抱いていた。ほとんどの経営者が供給業者のニーズを考慮せず、とにかく要求されるままに供給することを期待しており、供給業者は供給プロセスを担当しているかのように扱われていた。この姿勢は、供給メーカーが企業の要求を満たさないと取引停止にするという脅しや厳しい交渉につながっていた。しかし、看板方式(JIT)による在庫管理の優位性が認識されてからは、信頼できる品質や配送が仕入れコストの抑制と同様に重要であることが明確になり、自社の供給プロセスに対して注意深く気を配るようになった前向きな経営者も出てきた。この新しい姿勢によって、開放的で完結したコミュニケーションが特徴的な相互的利益の関係が構築された。この結果、供給プロセスの管理方法に大きな革新をもたらした。こうした発展の結果、現在の革新的に経営管理された企業は図P.2のようになっている。つまり、労働者、顧客および供給業者は企業と相互的利益関係にあるが、資本市場だけは依然として大きく乖離している。 コミュニケーションおよび情報共有の重要性を説明するために、デル・コンピュータのマイケル・デルは以下のようにコメントしている。なお、このコメントはこの前段で簡単に触れたマネジメント改革に関する過去の経緯に賛同した見解となっている。
「製造業者は、供給業者を最後の一滴まで絞りとるためのコスト削減の対象として扱うことはもはやできない。また顧客も、できるかぎり可能な高い価格で購入させる製品・サービス市場として扱うこともできない。そうではなく、供給業者も顧客も情報パートナーとして扱われるようになり、事業ごとにではなく価値連鎖全体にわたる効率性を高める方法を一緒に追求することになる」
しかし、デルを含むほとんどの経営者は、資本市場についてはまだ同様の発見をしておらず、円の内部に引き込むことすら検討していないというのは不思議である。筆者がこの事態をはっきりと理解したのは、ある日、教え子(現在はハイテク企業の経営者)が資本市場に対する姿勢を表現したときである。彼が言うには、資本市場は「必要悪」であると判断しているとのことであった。実際には、資本市場はどの企業にとっても極めて重要であり、妥当な価格で企業が必要とする資本を供給している。資本市場はまた株主に流動性と評価情報を提供し、株式に対する需要を高め、その株式の時価を高めている。さらに、十分機能する資本市場が経済全体にとって非常に重要である理由は、競って資本を求める者たちに対して、新規調達や再配分するメカニズムを提供するからである。この市場が機能しなくなれば、経済活動は停止し(1930年代に見たとおりである)、あるいは再開することさえ不可能になる(例として、過去の集団主義的国家は資本のない状態で資本主義に転換しようとしたことが挙げられる)。 企業および経済を持続させ、成長させ、また安定化させるためには資本市場が重要な役割を果たすことは紛れもない事実であるにもかかわらず、ほとんどの経営者が私の教え子の言うように資本市場は必要悪であるという考えに同意しているようだ。筆者がこの結論に達したのは、かつて企業経営者がほかの3つの市場を扱ったのと同じ方法で資本市場を扱っているのを見てきたからである。もっと具体的に言えば、経営者が依然としてサプライ・プッシュ的観点で資本市場にアプローチしている。つまり、企業が作成した財務情報の内容は、企業が報告したい情報であり、けっして資本市場参加者が欲する情報であることはなく、分析のために必要かつ有益であると資本市場参加者に認識される情報でもない。需要サイドに注意を払わずに仕事や製品の供給を管理する視野の狭い経営者が依然として存在しているように、ほとんどの経営者が依然として、資本市場に対してだけは同じように非生産的で供給集約的な姿勢をとっている。 何を見ればこの意見の正当性が立証されるだろうか。若干の例外はあるものの、ほとんどの経営者は最低限に要求された情報公開しか行っていない。また、経営者が、オフバランスでの資金調達、脚注での不明瞭な報告、合併の持分プーリング法での報告、複雑で解読不能なキャッシュフロー計算書、損益計算書のなかで重要である費用表示の省略などの選択をするのを見かける。特に当惑するのは、財務諸表に精通した利用者からもっと役に立つ情報開示を要請されているにもかかわらず、こうした方法に終始していることである。さらに当惑することに、大きな事業崩壊が発覚したときに、過大評価された株価を維持する意図で経営者が一部の会計処理を改ざんしていたのである。2001年のエンロンの見かけ上の時価総額600億ドル超が、これほど急激に実質上ゼロになったのは、このような財務報告スキームが解明されたからであり、経営者が最初から企業の事業活動について事実を伝えようとしていたのであれば、このような財務報告スキームはとられなかったであろう。 資本市場を軽視するようになってしまった理由は何なのだろうか、もっと言えば、どうしてこの状況が今もなお続いているのだろうか。主要な原因は、一般的な財務報告に関する教育が経営者に不足していることにあると考える。つまり、経営者は、資本市場には公開情報を処理したり、私的情報を収集したりする機能ぐらいしかないという認識で行動をしているのである。実際に発生したことを開示する代わりに、財務報告書のやりくりで資本市場をごまかすことができると経営者が考えているのは明白である。彼らの考え方が混乱しているのはよく分かる。たしかに、筆者も過去に同じような誤った考えにとらわれていたのだから。 さらに、この機能不全を起こしている行動は、財務諸表の数値と連動する経営者の報酬体系によって引き起こされたものだとも思われる。多くの経営者が真の業績を発表する努力を怠り、会計報告書を操作することに力を振り向けている。言い換えると、融通性が高く、多くの自由裁量の余地がある財務会計の基準や原則によって、こうした会計操作が可能になっているのである。この行動は、資本市場に提供される情報の質の低下を招くことにもなる。 驚きを隠し得ないが、過去の固定概念からいったん踏み出してみると、まったく異なる財務報告システムを見つけることができるのである。資本市場を遠いものとして放置するのではなく、いわゆるQFR(Quality Financial Reporting)を採用し、経営者が資本市場に参加し、協力的で相互利益をもたらす関係を築く時期がやってきたのである。 QFRの要点は、図P.3に示されるように、経営者が資本市場に接して、内部の円内に引き込むことができれば、低コストで資本調達が可能になり、ほかにもある多くのメリットを享受できることである。 ほかの市場において、労働者、顧客および供給業者と付き合うときには、壁が存在していたり搾取の関係があったりしたが、それを協調関係、協力関係に変更してきた。それと同じように、QFRによって、投資家、債権者に対する従来の姿勢が、頻繁に開示され、開放的で、正直な、さらに信頼できるコミュニケーションとして特徴づけられる新しい関係に変更されるであろうと筆者は思い描いている。 それならば、この改革は具体的にどのように実現されるのであろうか。その答えは本書でこれから明示し展開していく。第Ⅰ部では、経営者が作成する不完全な報告よりも、資本市場は改善された情報に対して肯定的に反応することを説明する。第Ⅱ部では、一般に公正妥当と認められた会計原則(GAAP)のよって、財務報告書には高品質の情報が記載されていると従来から信じられてきたことは大きなまちがいであることを説明する。第Ⅲ部では、証券アナリスト、投資家および会計士の立場からの意見および結論を詳しく説明する。ここではそれぞれの立場における経験に基づいた調査についても触れていく。第Ⅳ部では、一般公開用に作成する会計情報の質の良し悪しを経営者や会計士自身が判定することで、財務報告への取り組みを実践し、自身の姿勢と向き合うことになる。第Ⅴ部では、経営者が資本市場参加者との間にQFRの関係を構築する方法について提言する。最後に、第Ⅵ部では、QFRによって財務報告基準設定の過程がいかに大きな影響を受けることになるかを説明し、さらにエンロンの経営者がQFRの方法を実行しなかった実例となったことを明示する。本書全体で、筆者はチャレンジ精神にあふれた非常に価値あるメッセージを送っている。QFRを取り入れるには、経営者の姿勢および行動様式を大きく変えなければならないので、抵抗も予想される。しかし、筆者はもっと多くの経営者がQFRの考えを理解し、実行に移す意思をもっていることも感じている。さあ、QFRに取り組もう。
QFR革命
基本的に企業経営者が投資家および債権者に提供すべき事項は2つだけである。
次の議論では4つの単純な経済原理を用いてQFRが革新的でかつ広く普及する根拠を説明する。そもそも、ロケット科学や学術的な戯言を言っているのではない。よく考えれば、大事なところは簡潔かつ簡単であることが分かるであろう。しかし、多くの経営者および専門の会計士が完全に見落としてきたのである。会計財務教育専門家だけでなく財務諸表利用者や資本市場の監督当局までもが同じ過ちを犯している。この基本的事実からQFR改革の基礎が築かれるであろうと思われる。
4つの原理
原理とは、定義上は付け入る隙のない真実の陳述であり、これはまた論理的根拠としても活用できるものである。
不完全な情報開示によって不確実性が発生する
知識というものがなければ、われわれ人類は絶望してさまようことになるだろう。どこに自分がいるのか、何をしているのか、また何が起こっているのかすら分からず、さらにこれから何が起こるのかの糸口も見いだせない状況に陥る。同じ状況が財務報告の場合にも当てはまり、粗悪な情報報告のせいで、資本市場参加者は何が起きているのか、何が起きたのか、あるいはこれから何が起こるのか知ることができない状況に陥る。不完全な情報開示は、省略、虚偽記載、あるいは単なる信頼性の欠如によって発生する。経営者が真実を実際に語ったとしても、報告を信用できなければ報告に従って行動することはない。
不確実性によって投資家・債権者のリスクが発生する
将来に関する共通した不確実性に加えて、過去・現在にも不確実性があると、資本市場参加者は安心感と確信をもって将来キャッシュフローを予想することができない。実際、過去・現在の不確実性のせいで将来の不確実性は一層増し、将来の予測に対して確信がもてないことになりかねない。この心理状態が投資家・債権者のリスクを形成することになる。では、このことが意味するのは何であろうか。
リスクが発生すると、投資家・債権者は高収益率を要求する
2つの投資機会があり、それぞれ同価値のキャッシュフローがあると想定する。一方のケースではもう一方よりも不確実性があり、それに伴うリスクがあるので、投資家・債権者は不透明な成果に見合うだけの高い収益率を要求するだろう。彼らがこれを要求しないのは道理に合わない。結果的に、投資家はより大きなリスクに見合うプレミアムを支払うと経営者が考えるのは大きな誤りである。特に、このリスクが報告情報および作成者の信頼性の欠如から発生している場合は言うまでもない。
投資家・債権者に高収益率を提示することによって企業の資本コストが増大し、株価は低くなる
もちろん、投資家・債権者が企業に高収益率を要求するのであれば、反対側にいる経営者にとって必然的に資本コストが高くなることになる。例えば、受益者の受取利息は利息支払者の支払利息となる。経済理論によれば(ほとんど常識であるが)、債券・株式の時価は予想将来キャッシュフローを投資家・債権者の予想する期待収益率で割り引いた現在価値である。このように、期待収益率が高ければ(つまり、資本コストが高ければ)、予想されるキャッシュフローの現在価値は低下することになる。つまり、企業有価証券の時価は、投資家・債権者がより高い収益率を要求すれば減少する。
相違方向
世の中には悲観主義者と楽観主義者の両者が存在していることを考えれば、この分析でももっと前向きなアプローチをすることが可能である。楽観的な考えの持ち主にとっては、4つの原理は異なる条件に感じられるだろう。
原理を用いた財務報告方針の定義
筆者が把握するかぎりにおいて、4つの原理の意味することは明白である。つまり、企業の資本コストを低下させ、株価を上昇させたいのであれば、営業活動および財務報告両面で適切な方針を選択しなければならない。 まず、事業の営業活動のための一般方針として、次のどちらかひとつを選択しなければならないとする。
さらに、事業の情報開示のための一般方針として、次のどちらかひとつを選択しなければならないとする。
要約
本質的に、本書でこれから展開することはすべて、この原理とこのまとめとの関係――不完全な情報開示によって不確実性が発生する――に立ち戻ることである。筆者がQFRを企業の有価証券および時価総額を増加させる財務報告方針と考えるのは、この理由からである。この論理は非常に説得力があり、ほかの方針よりもはるかに優れているという確信をもつにいたった。財務諸表で見栄えだけを良くしようとする経営判断では、今後不十分であることは明白である。 対照的に、QFRの方法論では市場の要求を満たす完璧な情報を開示することを目指す。ただそれだけやっていればよいのである。現実に、さまざまな形でこの考え方があちこちで見られるようになってきた。マーク・イプシュタインとビル・バーチャードは、共著『価値があるものを算定する(Counting What Counts)』4のなかで2世紀前の歴史にさかのぼって以下のような現代的な概念を案内している。
「ジョン・スチュアート・ミルズの教師であったジェレミー・ベンタムは200年前に会計上の説明責任を認識していた。彼は、『開放的経営原則(open-management principle)』『公明正大な原則(all-above-board principle)』『透明な経営原則(transparent-management principle)』を提唱している。広く知られているのは、ベンタムの主張が、公的機関が企業に自己責任を全うすることを義務づけるべきである、ということである。ベンタムは18世紀の時点で経営者が現在行使している権力――市場参加および会計報告を活用し、値上がりに拍車をかけることを予見していた。企業情報開示に則った、疑う余地のない計量的数値を組み合わせることで、人々を経営者の意図どおりの方向に仕向けることになるだろう」(11~12頁)
筆者のQFRの見解とこの考え方とは一致している。つまり、企業の財務報告を改善することが便利な情報の提供となるだけでなく、企業経営の改善となるのである。言い換えれば、QFRは単なる財務報告以上のものであるということだ。イプシュタインとバーチャードは、動機を与えて意欲を喚起させるような会計報告の重要性を下記のように表現している。
「会計原則は、人々を一列に並ばせるための棒のような役割をするというよりはむしろ、より高い能力水準に向上させるためのニンジンのような役割を果たすだろう」(4頁)
この改善管理力はQFRのもうひとつのメリットである。
先に進む前に、従来からの財務報告の状態はこれとはまったく異なっていることを読者に申し上げておかなければならない。たしかに、ほとんどすべての経営者が自社の財務報告を管理すれば株価を操作することができると考えているようである。もし経営者がそれを実行したら、次章で説明する7つの大罪を犯すことになる。